易経やタロットなどの神託を行うとき、私たちは記号(シンボル)を使い、これらの無意識の元型を 表層意識上に呼び起こす。
神的存在とも呼ばれるこの「元型」は、のちに実体化される精神原型が 生み出される深層意識が短時間で発現したものである。
このため、私たちは理想とする将来を現実のものとすることが可能なのだ。 そこで、先に論じた「魔術」の定義について振り返ってみよう。

 私たちが魔術を行うとき、精神(魂)の内的世界を操る記号(シンボル)を使うが、これによって、 外界、すなわち、物理的世界に変化が生じる。
これを首尾よく達成すると、その変化はあたかも奇跡が起こったかのように映る。
つまり、物理的世界における普通の因果律を超える事象であるとか、何らかの神秘的な方法でもって 外界に働きかけたかのように映るのだが、
私たちは、[[シアリス 通販>http://www.edchiryouyaku.net/shiarisu20]]精神を操る記号(シンボル)を使うことで、元型を活性化させているのであって、 実際、多くの呪術儀式において、私たちは神や天使、あるいは悪魔と意図的に接触している。 よって、魔術によって引き起こされる事象は、一つの元型の発現、裏を返せば、シンクロニシティ(共時性)なのである。

シンクロニシティと魔術  先にも述べたが、ユングは、シンクロニシティ(共時性)または魔術は、真の創造の非因果律的事象であると考えている。 我々西洋人がこの概念を理解することはほとんど不可能である。 先に私が引用した定義は、要するに、「魔術」とは、科学ではまだ認識されていない力を利用した因果律的事象だということである。 したがって、これを「非因果律的」と呼ぶのは、「単なる偶然」だと呼ぶのと大して変わりないが、 私たちの立場から言うと、これは記号を用いた象徴的な儀式によって生じるものである。なぜなら、この二つは常に同時発生するからだ。 魔術とは本当に、私たちの自我(エゴ)が生み出した幻想に過ぎないのだろうか? 魔術を使って願望の達成を試みるとき、自我(エゴ)によって変化が生じるように思えることもあるだろう。 しかし、自我(エゴ)が実現しようとする願望そのものは、「[[威哥王>http://www.strong-one.net/seiryokuzai-52.html]]元型」によって生み出されるものである。 おそらく、私たちが行う魔法作用というのも、一つの「元型」の現れであると私は考える。 これは、「ほとんど誰でも日常的に儀式を行っているが、これがシンボリズム(象徴主義)であることを 彼らは意識していない。」 と、ユングが述べていることからも十分立証できる。


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